皆さんこんにちは。
花を買う人、はなをです。
先日、パスポートを発行しました。パスポートの表紙には菊が紋章としてデザインされていました。と、この紋章を見て疑問が。菊って日本の国花だったっけ?日本の国花ってなんだっけ?ウメ、桜、とか。。。。?
と言うことで今回は、日本の国花について調べてみました!日本の国花は何か、ナゼその花が国花となったのかをご紹介していきたいと思います。
国花とは
国花とは、国の象徴として選ばれた花のことです。国花は、その国の歴史や文化、自然などを表現するものであり、国民のアイデンティティや愛国心を高める役割もあります。国花は、法律や憲法で定められている場合もあれば、慣習や伝統で決められてる場合もあります。
日本の国花とは
日本の国花は、桜と菊の二つがあります。実は、日本の国花は法律では定められていないそうです。桜は春に咲く美しい花で、日本人にとって自然の美しさやはかなさを象徴するもの。そして、菊は秋に咲く華やかな花で、長寿や繁栄を象徴するものです。桜と菊を日本では国の象徴とし、様々なデザインに扱われています。
桜と菊が国花とされる理由
日本の国花が桜と菊である事を紹介しましたが、なぜその2つなのでしょうか?桜と菊が国花として扱われるには理由があります。桜と菊が日本人にとってどのような花であったのか、各時代ごとに紹介していきます。
桜が国花とされる理由
桜は日本に古くから存在する花で、奈良時代にはすでに中国から渡ってきたとされます。日本で最古の桜の記録は、奈良時代初期(712年)の「古事記」にあります。しかし、古事記には「桜」と書かれているわけではありません。古事記に記録されているのは、桜の語源となったといわれる「木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)」という神様の名前です。また、飛鳥時代から奈良時代にかけて詠まれた歌が収められている「万葉集」にも、桜の花が登場します。しかし、当時は桜より梅の花の方が人気が高く、梅の歌が120首歌われているのに対し、桜は42首と梅の約3分の1にしか歌われませんでした。
万葉集には多くの植物が素材として用いられているが、中で梅は集に120首詠歌がみられ、これは萩の141首に次ぐ数となっている。一方、桜の詠歌は42首で梅の約三分の一にしか満たない。
引用:万葉集における梅の歌考
平安時代になると貴族たちが桜の花見を楽しむようになりました。それまで、花見の対象は梅でした。
花見の対象が梅から桜に変わったのは、遣唐使の廃止が理由の一つだと考えられています。奈良時代・平安時代初期、日本は唐(現在の中国)から先進的な技術や文化などを取り入れるために遣唐使を派遣していました。しかし、894年遣唐使が廃止。それまで、中国から伝わった梅を愛でていましたが、遣唐使廃止を機に昔から日本に存在していた桜を大切にしようとういう考えが広まりました。このように、平安時代に花見の対象が梅から桜へと変わりました。桜は春の訪れを告げる花として、人々の心を和ませました。
また、平安時代の「古今和歌集」では桜が春の花の象徴として詠まれています。万葉集では、桜より梅を詠うものが多かったのに対し、古今和歌集では人気が逆転。梅が約18首、桜が約70首歌われました。
江戸時代には、花見の文化が庶民の間でもまり、現代の私たちと同じように人々は桜を見て楽しむようになりました。江戸時代の浮世絵でも桜は人気の題材となり、有名な浮世絵師葛飾北斎や歌川広重も桜の作品を残しました。また、桜は儚く散る姿が武士の生き様に重ねられ、武士道の象徴ともなりました。
現在でも、桜は日本人にとって特別な花です。毎年春になると、全国各地で桜の開花予想や花見情報が報道されます。桜は学校や会社の入学や入社と重なることから、新しい出会いや別れを象徴する花でもあります。また、桜は日本独特の四季の美しさを感じさせる花でもあります。桜は日本の自然や風土に合っており、日本人の感性や美意識にも訴えかけます。
以上のように、桜は日本の歴史や文化に深く関わってきた花であり、多くの人々に愛されてきた花です。そのため、桜が日本の国花となったと言えるでしょう。
菊が国花とされる理由
菊は日本の国花とされるもう一つの花です。菊は平安時代の初めに中国から伝わってきたといわれています。平安時代に編まれた『古今和歌集』には、菊が読まれている歌が沢山あります。しかし、飛鳥時代から奈良時代にかけて詠まれた歌が収められている「万葉集」には菊の名前は載っていませんでした。
菊が書に最初に登場したのは、平安時代の歴史書「類聚国史(るいじゅこくし)」で桓武天皇が詠んだ歌だとされています。
この頃の 時雨の雨に 菊の花 散りぞしぬべく あたらその香を (桓武天皇 『類聚国史』)
鎌倉時代では、後鳥羽上皇が菊を大変好み、自らの印として愛用しました。その後、後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇が自らの印として菊の印を継承し、いつしか32弁の八重菊紋である十六葉八重表菊が皇室の紋として定着しました。
江戸時代に入り、菊は日本で広く栽培されるようになりました。江戸幕府が、9月9日を五節句の一つ「重陽の節句(菊の節句)」と定めたことで菊の人気がより一層高まりました。
こうして、菊は日本の国民に親しまれるとともに、日本の国家や皇室のシンボルとして定着していきました。現代の身近なところではパスポートの紋章や硬貨の図柄が例として挙げられます。菊は、現在の日本のシンボルといえるでしょう。
さいごに
いかがでしたでしょうか?日本の国花は桜と菊の2つであり、その理由を歴史と共に紹介しました。桜と菊は正式に国花に指定されたわけではありません。日本には国花を定める法律がなく、上記で紹介した通り今までの歴史、慣習的に認められ事実上の国花とされているだけなのです。それでも、多くの人々が桜と菊を国花として認識しており、日本の伝統や文化を表す花として尊重されています。
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